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日本と途上国の環境問題の違い

前回環境、特に「使用する」立場について書いたので、今回もその続きを。

日本の環境問題の歴史と、途上国のそれとはかなり異なる部分が多いです。

日本は、環境対策といえば、「公衆衛生に始まり、次に公害対策、そして、生活系環境問題や地球環境問題へ」(藤倉)と変化してきました。

つまり、工場などの汚染源特定できるもの(公害)から、自動車など汚染源の特定が容易でないもの(生活系)、森林破壊・砂漠化・温暖化(地球環境)へて変化してきたということです。汚染範囲が小さな範囲(公害)から、広い範囲(地球環境)へて変化してきたわけです。広い範囲であればその被害はすぐには目には見えないけれども、長期的には生物や人間の生存基盤を脅かすものとなってきたとも言えそうです。

一方、途上国は圧縮型環境問題と呼べます(小島)。それは、一気に上記の地球環境型のステージになっています。先進国も地球環境問題には十分には対処できていないので、途上国はなおさらです。

小島は先進国の事例を振り返りながら、、環境被害者の抵抗運動、言論の自由、企業の汚染防止のための初期投資へのインセンティブ付与、政府の環境法関連の執行能力、地方自治体の首長の直接選挙制、を環境対策の成功の要件としてあげています。

ここからは、個人的な意見です。

先進国と途上国は同じ責任はないと思います。つまり、途上国が先進国と同じだけ地球環境問題に取り組むべきかというと、そうではないと思います。

なぜかというと、先進国は上記のように徐々に資源を使いながら発展してきて、かつ、数十年から数百年の年月をかけて環境対策のノウハウを蓄積してきたからです。今それを途上国に求めるのは「不公平」な気がします。

途上国は、ある程度のレベルまで自国の天然資源を使って発展する権利がある、と僕は考えます。もちろん、地球規模に負荷をかけるレベルであればそれは認められるべきではありません。しかしながら、今そこで生きている人たちの衛生状態を守ることの方が、森を守ることよりも大切な気がします。

ただ、一方で途上国では人口増加のペースはとても速いので、問題は改善されないのではないかという危惧もあるかと思います。それについて次回考えたいと思います。

参考文献
藤倉良『日本の公害経験の背景と技術移転─大阪市の経験から考える 』「アジ研ワールド・トレンド2008年2月号」

小島麗逸『途上国の環境問題とは』「アジ研ワールド・トレンド2008年2月号」

| 環境政策 | 23時01分 | comments:0|このエントリーを含むはてなブックマーク|trackbacks:0 | TOP↑















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